大峯奥駈道

〜日本最古の修験道〜

 熊野は古くから神々が棲まう聖地として崇められ、多くの人が「巡礼」に訪れた.「巡礼」の旅は日本の観光のはじまりとされ,熊野詣が起源といわれている.熊野古道とは熊野三山を詣でる路のことを指し,伊勢路,中辺路,小辺路,大辺路,紀伊路など多くのルートがある.今回,自分達が歩いたのは「大峯奥駈道」,吉野から熊野三山までの大峯山脈を縦走する日本最古の修験道である.道中には,大峰山(山上ヶ岳)や近畿最高峰の八経ヶ岳があリ,熊野古道の中でも最も険しいルートとされ,山上ヶ岳付近の山道は今でも女人禁制の地として知られている.

 今回の旅の目的は,山岳信仰の歴史が深い日本で最も古いとされる修験道にどんな世界が広がるのか.世界でも有数の古道「熊野古道」を実際に歩くことで何を感じるのかを知ることであった.今回は大峯奥駈道を2つに分け, 前半の吉野-八経ヶ岳(約45km)を2泊3日で歩いた.

  • Day 1 吉野から山上ヶ岳へ

山の旅の始まりは吉野山から.4月中旬ということもあり桜の名所吉野には多くの観光客が訪れる.山麓から山道のある金峯神社までの道のりには吉野の人々の暮らしがある.歴史を感じる街並みを横に足を進めていると,日本最古の修験道とはどんなトレイルなのか,と長旅への期待が膨らむ.

いよいよ金峯神社を超えて山道に入っていく.気づけば周りに観光客は居なくなり,目の前に続く山道と自分達だけになっていた.吉野の春は終盤を迎えており,散った桜が山道を埋めていた.新芽が顔を出し,青々とした木々が季節の変動を感じさせる.

道中で見つけた石碑にこんな言葉が刻まれていた.

 「宇宙の真 我等意に生かさる 自然の道理にしたがい自他一体に 意をつかい和に至る道を歩む」

 日本の古典的でどこか宗教的な教えを感じる一説だったが,この道を歩むのは,自然の流れやその過酷さに身を委ねることで人生の真理を知るためであると勝手な解釈をした.適当な解釈ではあったが,どこか的を得ているようにも感じた.青根ヶ峰,四寸岩山を超え,平凡な道を進む.大天井岳を抜けるといよいよ五番関.いよいよ大峰山(山上ヶ岳)に入るのである.

 ここ五番関から先は世界的に見ても珍しい女人禁制の地となっている.ここは太古から厳しい修行の地,聖域とされており,今現在も女人結界のしきたりが続いている.非常に興味深い.女人結界門を過ぎたのは午後2時半頃だっただろうか.ここから疲れがどっとまして足に乳酸が溜まる.標高は1100から1700まで上がり,ようやく山上ヶ岳の山頂が見え始める.この日は午後から快晴だったため,せめて山頂で夕日を拝もうとペースアップしたが足取りはかなり重かった.

 山頂直下の300mの急登を上った頃には日没前だった.頂上付近には残雪があり,まだ宿坊も大峰寺も開いていなかったため物静かな雰囲気だった.しかし,その荘厳な静けさがここから見える紀伊山地の眺めをさらに神聖に感じさせた.

 日が暮れ,ここまで20kmほど山道を歩いたが今晩泊まるのは宿坊ではなく,3kmほどさらに進んだ避難小屋である.大峯寺の境内を越え更に先へ進む.

 小屋に着いたのは19時半,約12時間の山道は流石に疲労が溜まる.早々と晩飯を済ませ,2人とも1日をゆっくりと振り返ることもなくシュラフに包まり就寝.明日も続くの20km越えの山道に備えるためである.もう春とは言いつつも,4月の大峰は2,3度と冷え込む.就寝前のコーヒーが疲れ切った体を癒す.この日の夜は満月が故,月明かりが眩いほどに明るかった.

  • Day 2 小笹ノ宿から弥山へ

午前5時,陽が上がらない内に目が覚める.外は次第に明るくなり始め,昨晩暗くて分からなかった小屋周辺の景色が見えてくる.小屋のすぐそばには小川が流れていて,ここの雪解け水を煮沸して2日目の水分にした.小屋の周りには焚き火の跡がちらほらとあった.出発までそこで火に当たりながら朝食を食べ,ゆっくり過ごすことにした.

 この日は弥山を超えて狼平小屋までを行くルートで,距離的にも昨日よりは短いだろうと考えていた.天気も晴れ予報だったため,昨日の疲れを残しながらも快調に2日目をスタートした.女人禁制の地を超え,大峰山脈を更に南に行く.この大峰山脈一帯は日本百名山の一つでもあり,縦走しながら見える原生林や紀伊の山並みは美しい.この日のルートは想像していた以上に厳しかった.長めの下りを越えると今度は急勾配の登りがやってくる.これを何度も繰り返す.ガレ場などはないが急斜面且つ道幅の細い山道が続く.あといくつ山を越えるんだと思いながらも,夕日を弥山小屋付近でゆっくり眺めようと集中して歩き続ける.山道に転がる護摩札を見ると,ここが霊山で神聖な場所であることを再認識する.また,度々目にする不思議な自然の造形からはその長い歴史を感じる.

 この日,午前10時前には大普賢岳の山頂にいた.ここで今回初めて他のハイカーに出会ったが,ここまで誰にも出会わなかったことで,人を見るとホッと安心した.ここからもう少し標高が下がる.弥山までの道のりはまだまだ遥か先まで続いていて,幾つも越えないといけない山があった.道中で登山客の団体に行者還の小屋の近くに水が湧いていると聞いたのは朗報だった.行者還岳はこの日のルートの中間地点.丁度昼食をそこの避難小屋で食べようと決めていたため長い休憩は取らず先に進んだ.七曜岳を越えてようやく行者還の小屋に着いたのは14時半頃だった.昨日からの疲労は足だけでなく,3日分の食糧とギアを詰め込んだザックの重さで肩もだいぶ張っていた.朝からここまで10km以上歩いたが,実際はその2倍は歩いたように感じた.度重なるアップダウンの連続で迂回の道はなく何度もコブみたいな山を超えた.今回山に入る前に調べた情報では大峯奥駈道全体の登り・下りの各総距離は共に8000mを越える,実際この道を歩くと,その標高差故のキツさを思い知る.少しずつ近く見えてくる弥山の手前には今回のルートで一番の急勾配が待っていることを地形図を見て悟ったため,時間的にも体力的にも弥山での夕日を不安に感じた.更に,昼食を終え今日の残り7kmをスタートさせた頃には弥山にガスがかかり始め,天気も徐々に崩れ始めた.

 先を急ぐ2人に会話はなく,2時間ほど集中して歩いてようやくこの日の最後の登りにたどり着いた.ここからの登り300mがとにかくハードだった.標高は1800mを超え,雪もかなり多くなったのでチェーンスパイクを履く.気がついた頃には辺りは,完全にガスに包まれ,体感温度も3度くらいだった.既に18時前になり,段々と暗くなり,何とか日沈までに弥山を登り切ろうと息切れしながらも何とか登り続けた.残り100mのところで突然ガスが晴れて東側の空が見えた.2日目の夜はこの先にある弥山小屋には泊まれない.まだシーズン外のため山小屋はオープンしておらず,更に先の狼平小屋まで300m降ってそこに泊まるしかないのだ.しばらくすると弥山小屋に着いた.それはすごく立派な山小屋だった.すっかり日も暮れ,西側の空はオレンジと青に染まっている.今日は登らない八経ヶ岳を左手に宿泊地の狼平へと急いだ.

 狼平小屋までの道も雪道や急な階段が続く,明日の早朝の天気予報は曇天だった.早朝の八経ヶ岳山頂へのアタックをどうしようと考えながら暗い山道を下る.すると遠くに人の影と焚き火の灯りが見える.狼平小屋に着くと明日自分達と同じく八経に登る6人程のパーティーがいた.自分達にとって小屋に既に暖があること,人が居ることが何よりも嬉しいことだった.その人たちはかなり登山経験豊富な方達で,陽気なおじさんという感じだった.自分達2人が輪に入るなり,山関連の面白い話や世間話で盛り上がり,ウイスキーやつまみも振る舞ってくれた.夕食を食べ,明日の朝4時に山頂に向けて出る準備をしながらも,楽しい山のひとときは焚き火を囲みながら夜遅くまで続いた.

  • Day 3 近畿最高峰の頂きへ

 3日目の朝は午前4:00起きだった.避難小屋の下の階にはまだ日が昇ってから出発するおじさんたちが眠っているので大きな音は立てず,軽めの朝食を済まして静かにザックたちを外に運び出す.小屋の横に流れる沢で水分を補給し,いよいよ八経ヶ岳に向けて出発する.天気は昨日見た予報通りの曇りで,星も一切見えない.昨日降りてきた道を再び登りながら八経ヶ岳の山頂がガスの中に消えていくのが分かった.最終日のルートは八経ヶ岳に登った後,そのままピストンして奈良の天川村の登山口まで約4時間かけて降りる予定だった.というのも当初はそのまま南下して釈迦岳を経由,前鬼まで降りてそこに置いてある車に乗って吉野まで戻り,もう一台の車を回収して帰る予定だった.しかし,前鬼に置いてある車の鍵を吉野の車に置いてきてしまったのだ.それに気づいたのは1日目の夕方だったが,2人でヒッチハイクでもすれば何とかなるから進もうという結論に至っていた.辺鄙な田舎でヒッチハイクをして車を捕まえるまでの時間を考えると正午には登山口に着きたいと考え,もしこのまま山頂のガスが晴れないのならいっその事このまま下山した方が良いのではないかと思った.しかし,近畿最高峰を経験しないまま帰るのは後悔すると思い,とりあえず山頂は拝んで帰ることにした.いくら運が悪く,しんどい思いをしたり,山頂で何も見えなかったとしても,また何度も登りたくなるのが山だと思う.道中の景色や音の変化,地上とは違う空気感や他のハイカーたちとの出会い.山には人それぞれ違った魅力を感じている.

 弥山を超えて八経ヶ岳の山頂が近づいてきた.すると薄っと青色が空に見えた.午前5時半を周り,日の出も雲の向こうで見ることはできなかったが,少しづつガスが晴れていくのが分かった.自分達が山頂に立った頃,これ以上無いタイミングで当たりの分厚い雲が消え,紀伊山地の山々が目の前に現れた.この景色を待っていたんだと感じた.振り返った先には昨日まで歩いてきた大普賢岳など大峰山脈も見える.南側には釈迦岳やその先に続く熊野までの山々たち.吉野から歩いて大峯奥駈道の最高峰に立ったその感覚は神聖な山々を歩き,修験道の辛さを知った後の自分達には本当に特別なものだった.

 山頂では,山々を見ながら極上のコーヒーを飲んで1時間ほど滞在した.またここに朝日を観に来ると自分に言い聞かせ山頂を出た.ここで大峰奥崖道とはお別れである.次は前鬼から釈迦岳に登った後,南下して熊野本宮大社に向けて更に50km道を進むことになる.奥崖の絶景を後にして天川村に向け下山した.熊野古道は本当に素晴らしい.歴史的な背景や実際に歩いた美しい景色からもそのロマンを感じずには居られない.また後半の旅が楽しみでたまらない.

 山頂を出て1時間ほどであのおじさん達とすれ違った.山頂は今晴れていると伝え,昨日のお礼も言って別れた.こういう山での出会いも山の醍醐味であることは間違いない.下山はとにかく集中して進んだ.自分達の頭はヒッチハイクのことでいっぱいだったからである.何度か休憩しながら昼過ぎには登山口に着いた.天川村と吉野を繋ぐ国道に村の案内所があった.そこのおばちゃんがとにかく良い人でヒッチハイクの車を探していると伝えると「車止めてあげる.知り合いやったら頼んであげるから」と.コーヒーや菓子も頂いて一息ついた後,ヒッチハイクを始めた.すると1人目で車が止まった.なんとおばちゃんの知り合いで,吉野に向かっている途中であった.運良くその車に乗せて頂き,大峰山や熊野古道についてローカルな話をしながら無事に吉野に着き,そのまま帰路に着いた.

 今回の大峰奥崖道前半の旅は本当に良い山の旅だった.修験道で感じた神聖な地の独特な佇まいや山での新たな出会いなど,熊野古道を実際に歩いて得た経験凄くは大きい.熊野本宮大社までの道なりはまだ長いがそこにもきっと新たな発見があるだろう.