大峯奥駈道

〜日本最古の修験道〜

 4月中旬の吉野―八経ヶ岳の奥崖縦走から2ヶ月が経とうとしていた.関⻄圏は梅雨の時期になり,毎年6月半ば頃から来るジメジメした気候に嫌気が差していた頃,僕は引っ越しの準備を進めていた.春先の奥崖道縦走から2ヶ月,その間に北海道への移住が決まった僕は夏の大雪山系を歩くことばかりを考えていた.しかし,ふと頭によぎったあのやたらと凹凸の激しい山道.「このまま大峰奥崖道を歩き終えないまま北海道に行ってしまうのはあまりにも野暮だ.」と謎の使命感に駆られ,今回の機会を逃せば次いつ歩けるのか分からないと思った僕は関⻄を旅立つまでに残された2週間の間にまたあの奈良の奥地まで車を走らせ,熊野本宮大社までの残り50km の南奥崖を歩き終えようと決めた.当然,前回も一緒に歩いた友人のヒロヤに連絡をし,彼とのタイミングも合ったことで6月末の2泊3日で南奥崖縦走が決まった.

  • いざ南奥崖へ

今回設定したルートは前⻤から太古の辻,釈迦岳へ一度ピストンし,その後本宮へ向けて南奥崖を進むという予定だった.6月末ということもあり,梅雨真っ只中の山行になることも想定したが,どうも今年は梅雨明けが異常に早いらしい.関⻄圏の梅雨は 2 週間もしないうちにどこかへ去ってしまい,蒸し暑さだけが残った酷暑の夏が始まろうとしていた.前⻤のゲートから始まった南奥崖山行だったが,太古の辻まではかなり急登が待ち構えていた.前⻤は奥崖のおおよその中間地点であり,山彦の修行のために麓に宿坊があるが,そこから先は深く⻑い尾根の登山道が続く.紀伊山地は春先から一気に景色を変え,木々は緑を深め,未だ色濃く残る梅雨の湿気が関⻄の夏山を感じさせる.登り初めてすぐに耳元に感じる不快な音は大量のハエだ.この時期の登山は虫が厄介だ.勿論,蚊やブユも飛び回り,これから彼らを連れて長い山道を歩き続けなければいけない.この時点でもう既に両足は赤く腫れ,虫のご馳走になっていた.

ようやく釈迦岳が望めるところまで登ってきたらしい.この時点で中々の厳しさを感じていたが,とにかく奥崖道は歩き続けることが大事だということを前回の山行で学んでいる.当然この日も12時間以上歩くことは普通であるかのようにヒロヤとは会話していた.

釈迦岳が今回のルートで一番の展望であり,それ以降はただただひたすらに深く緑に包まれた山道を本宮大社に向けて歩くことになる.唯一の救いは南奥崖に点在する避難小屋が比較的綺麗な作りであることぐらいだろうか.昼前には釈迦岳の山頂に着いた.ここから見えるのは晩冬の頃に居た八経ヶ岳の頂.そして,背後に広がるのは遥か遠くに見える太平洋と紀伊の深く長い山の連なり.ここから南奥崖が始まるのである.

釈迦岳ピストンを終え,ようやく南奥崖のトレイルに入った僕たちは曇天の中をひたすらに歩き続ける.南奥崖のトレイルはあまり人が立ち入らないのか山笹が生い茂り,足元の見えずらい山道が続いていた.夕方になり,西の空に分厚い積乱雲が見え始めた.とっくに八経や釈迦の頂上はガスの中に消え,雨が降り始めるのも時間の問題だった.美しいと言える展望もない上に凹凸の激しいトレイル.更に歩きにくい山道は虫たちにたかられた自分達2人を更に追い込み,梅雨時期にこの場所に来たことを後悔させる.

 「いや~ 来る時期を間違えたな」

 「南奥崖は特に面白みがないな」

 ネガティブな言葉が2人の口からこぼれる.雲行は怪しくなり,小粒の雨が降り始めた.噴き出る汗と降る雨が混じり,途轍もなく不快な感覚が肌を包む.度々休憩を挟みながら午後6時頃になり,ようやく今日の目標地点まで1.5kmのところまできた.地形図を見るのは僕の役割で,何度もその急な登りが後何回あるのか数えながらここまできたが,今日はもう降るだけらしい.すぐにでも晩飯を食い,横になって寝てしまいたい.そして欲を言えば,山の中で静かに風にあたりながら1缶のビールを堪能したい.考えるだけでも涎が垂れるが,修験道を歩くならスナックやビールは不必要.そんなものは欲の塊だと2人でそんな会話をした覚えはないが,おそらく共通の認識だったのだろう.今回の山行には何もそんな煩悩は持ち込んでいない.しかし,もう口の中は3日後に熊野のどこかにある自販機で飲むであろうコーラの味がしていた.いつも疲れてきた時の口癖は

「コーラ飲みたい.」

だった.幸いなことに大雨に巻き込まれることなくこの日はやり過ごすことができ,雷鳴やゲリラ豪雨はすぐそこに迫っていたが運が良かったらしい.夜が更ける前に今日の宿泊地である持経ノ宿に着いた僕達は,汲み置きしてあった水で汗を流し,今日の振り返りをしながら晩飯の鯖缶をつまむ.そして,しばらくして眠りについた.

  • この道が繋がる先には

2日目の朝は早朝に出発した.今日も15kmを越える長丁場で,朝のコーヒーなんぞを噛み締めている暇もなかった.見所のない山行はまずワクワクしない.そうなると,この2日目はできるだけゴールまで距離を稼ぐためだけに歩く日ということになる.

「もう歩けなくなったらテントを貼って寝よう」

そんな会話をしながら歯を磨いているヒロヤの顔は,疲れか今日のルートの地形図を見た反動なのか明らかに覇気がない.2人とも南奥崖の単調な景色と険しい道のりにアドレナリンが出るはずもなく.昨日足に溜まった乳酸は消えず残っていた.天気だけは快調で,これ以上に無いほどのピーカン.既に稜線上にいるため直射日光が体力を消耗させる.朝から4.5時間歩き続ける.2人で山に来ているのだが基本的に歩くときは1人である.それぞれのペースで歩き,分岐点で合流.それぞれの時間を山で過ごしている.途中で通過したの行仙ノ宿は特に立派な小屋だった.昨日ここまで来れていたら幾分今日が楽だっただろうなと話す2人であるが,会話の内容はいつからか奥崖道への不満や暑さに対する負の言葉ばかりで,登山の本来の良さやどんな景観が広がっているのかなど考える余裕も無くなっていた.

「そもそもなんでこんな険しい道を敢えて通すのか.」「なぜ迂回路を作らないのか.」

などいかにも浅はかな考えが頭の中を巡り,奥崖道の存在意義にさえも疑問を持ち始めた.この時代に生きる現代っ子が熊野古道を歩くことに憧れ,いざ実際に神聖な道を歩くと”長い”,”傾斜がきつい” などと文句を並べる.どこまで野暮なんだという話である.

南奥崖を歩く1ヶ月ほど前,ひょんなことから読書を始めた僕は「トレイルズ “道”と歩くことの哲学 (ロバート・ムーア著)」と言う本を読んだ.とても興味を惹かれるタイトルだった.面白いことに,その本の中では蟻が通る道やカタツムリが這う道のこともトレイルの1例として描かれ,人が気づかないような道がこの世には無数に存在するという.建築家の友人にこの話をすると,

「鳥や虫の巣が建築だと言っているようなもんだ.」

と,あまり共感していない様子だったが僕にとっては全くもって腑に落ちる内容だった.

また,この本の一説には”道が通るところには理由がある.” とある.その目的は美しい景色かもしれないし,歴史を辿れば貿易や物資の運搬など道の端と端は理由と目的として繋がってきた.そこに道があると言うことは,この先に何かがあり,そこを通る必要があると言うことらしい.

今僕たちが居る大峯奥駈道もそういった数々の理由があって築かれた道なのである.太古の昔から熊野本宮大社へ参る者たちが何日もかけて吉野から本宮を目指した.勿論,自分達もこの長い道の上で,本宮まで歩き切りたいという目的を持って今こうして歩いている.修験道としての奥崖道は色んな景色を目にも心にも見せてくれるが,この今まさに自分達が痛感する感情の起伏こそがこの道を昔から今も廃ることなく大勢の人に歩いてみたいと魅了し続けているのものの1つなのかもしれない.

そんなこんなを長々と考えても実際に歩く上でのしんどさは変わらなかったが,こうして自分の中で対話を続け,色んな感情を感じながら歩くことで次第と目に映るものも変わり,小さいことも視野に入る気がしてきた.

「今日何時まで歩こうか.」

僕がヒロヤに声をかけたの午後9時を回ったところだった.2日目は玉置神社まで歩こうと思っていたがまだ6km程ある.もう20km弱歩いてきたが先が長い.

「後1時間歩いたら,テントを張れる場所を探して寝よう.」

晩御飯を食べてからも歩き続けていた自分達は満身創痍の中,ひたすらに明日,日没までにゴールすることを考え歩き続ける.結局10時を過ぎても平らでテン場になりそうな場所を見つけられず11時ぐらいまで暗闇を彷徨い続けた.最終的に玉置神社まで2.5kmのあたりで林道と山道の狭間のコンクリートにテントを貼って一夜を過ごすことにした.明日はいよいよ本宮大社だ.歩き終えて感じるのは底知れぬ達成感なのか.はたまた修験道を歩くものにしか分からない何か新しい感情なのか.その情景を思い浮かべながら目を閉じた.

  • どこまでいっても俗人だ俺達は

最終日も朝から歩き続け,時計は正午を回ろうとしていた,大森山を超えるとようやく熊野川が遠くに見え始めた.相変わらず展望もないが玉置神社では3日間ぶりに人に出会い安堵の時間が少しばかり流れた.今回の旅もクライマックスに差し掛かかり,僕とヒロヤは大峯奥駈道が自分達にとってどんな道だったのかを語り始めた.2人とも旅人として若いながらも色んな場所で多くのものを見て,経験してきた.そして今,山に惹かれて共に歩く仲になった.この山での時間というものはどこか特別で,異なる時間軸の中に存在しているような感覚になる.山道から見える視線の先には地上世界があり,平凡で早い時間の流れがすぐそこまで来ている.

「俺たちはまだまだ俗人だな」

とヒロヤが言う.

俗人とは,世俗の名利などにとらわれている人のことを指すらしいが,この時に話していたのは,

「平凡な時間の中では刺激を旅に求め,旅の中では平凡な時間を求める.」

まさにこのことであった.街の中で過ごす日常で,いつも頭に思い浮かべるのは大自然の中を行く刺激的な旅.しかし,実際に今回のように奥崖道を歩き,辛さや困難な場面に直面すると,平凡で楽な時間を過ごしたいと思う自分がいる.これまで自分の中に ”東京に住んだ自分は自然を近くに感じれず,幸せを感じれないだろう” と言う思いがあった.住んでみた事もないのに… しかし,それは場所に頼って豊かさを感じようとする自分の紛れもないエゴであり,本質的な豊かさとは程遠い.どの場所に行っても自分を内省し,どのような自分で居るのか.誰と時間を過ごすのかなどでインナピースは保つことが出来るはずである.この矛盾の中に,自分の欲深さや感情をコントロールすることの難しさがあるのだ.ただ,奥崖道を歩き終えてもこの矛盾を自分から解き放つことは到底できやしない.ただ,この道は自分達が今まさに直面している,もしくはしようとしている数々の疑問に対して気づきを与えてくれたのかも知れない.勿論,そんなことは全部歩く人間の受け取り方次第であるが,どうもこの大峰奥崖道は自分達にその情景や道のりを通して多くを語りかけ,自分自身と対話・対峙をする機会を与えてくれた気がしている.

「宇宙の真 我等意に生かさる 自然の道理にしたがい自他一体に 意をつかい和に至る道を歩む」

奥崖道の始まりである吉野の石碑に刻まれていたこの言葉は,この瞬間にスーッと自分の中での解釈を終えた.

3日目はあっという間に時間が過ぎていった.標高も300mまで下がり,容赦ない凹凸の稜線を3時間ぐらいかけて歩き続けた.途中,何本も熊野川へと続く登山道が見えたが,ここで辞めてしまってはここまで歩いてきた意味が無くなってしまう.今すぐに降りたいと思う気持ちを堪え,目の前の急登を駆け上がった.まあしかし,よくもこんな山に囲まれた奥地に聖域を作ったものだ.元々なぜこの場所が熊野と呼ばれているのかは未だにはっきりと分かっていないらしいが,一説では山岳と森林に「籠もる」と言う意味らしい.どこまでも魅力的で神聖なテリトリーだ.

「後,2時間くらいで陽が沈むな.」

この日はかなり集中して歩いたおかげで大斎原の大鳥居も見えていた.奥崖道を終え,熊野本宮大社へ向かうには熊野川を歩いて渡る必要がある.これには身を清めると言う意味合いがあり,水垢離と同じである.熊野川の河岸で十分に時間を過ごそうと考えていたので陽が沈む前にそこに行く必要があった.ここまでトータルで100kmの山道を歩いてきたが,その旅路が今終わろうとしている.最後の階段を急ぎ早に降り,久々の地上を踏む.ようやくこの長い山道が終わった.

「ようやく着いたな.」

「自販機はどこだ.」

結局,この長い道を歩き終えても涙は出ず,一目散に探すのは赤い缶の飲み物だった.しかし,2人ともがはっきりとこの道が教えてくれたことを心に刻んでいる.熊野川を眺め,痛む足を清めながら徐々に込み上がる達成感を噛み締めていた.そして川を渡り,無事に本宮大社へと参った後,コーラをがぶ飲みした.

こうして世界遺産熊野古道 “大峯奥駈道” を歩く経験は幕を閉じた訳だが,次にこの道を歩きたくなるのはいつなのだろうか.世界には人を魅了し続ける道が無数に存在するわけで,おそらくこれからそういった道へと歩みを進めるのだろう.しかし,大峯奥駈道を最初のロングトレイルに選んだことは本当に今後の自信になり,糧になると実感していた.この道を実際に歩き,その歴史や景観,雰囲気を確かめる.そこに表現しきれない価値がある.

温泉に浸かり,疲れを癒す2人は次に歩く新たな道を眺めていた.